ナミダの途切れた その向こうへ、今

 

 

 

「好きなアーティストの曲の中で何が一番好き?」

って質問、よく聞かれると思うんです。

 

一番なんて決められない、っていう人とか、

強いていうならこれ、っていう人とか。

いろんな答え方があるこの質問に私は、

 

Snow Manの曲の中なら『ナミダの海を越えて行け』が一番好き」

 

って答えると思うんです。

 

 

ただただ魂が込められていた "伝説" のデビューコンサート、すべての曲がSnow Man本人たちの曲で、

全部、ほんとに全部、彼らが言葉の意味を噛み締めて歌っているように見えて。

 

まあまだ他のアーティストさんに比べたら曲数ももちろん多いわけではないんだけど。

それでも、私の中で「ナミダの海を越えて行け」は他のどんな曲を聴いても抱かない感情になるんです。

 

 

以下、所々歌詞も混ぜますがほとんど私の話になるので、

単純に興味がなかったり、私を知る事で嫌いになる可能性があると思ったら、Uターンしてください。

ネガティブとかじゃなく、知る事でマイナスになることってあると思うから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

本当自分の話ばっかりですよ。この先。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Uターンしないで見てくれてる人、

ありがとうございます。好きです。

 

まず、大前提として。

 

ナミダの海を越えて行けは、私が就活に苦しんでる時に毎日聴いていた曲でした。

 

今でこそご縁のあるところに拾っていただいてひと安心していますが、わたしはとにかく就活に時間がかかってしまって。

 

テレビ業界に就きたかったんです。

 

昔からテレビが大好きで、というか、エンターテインメントが大好きで。本当のことを言えばそれこそアイドルとか俳優とか、表舞台の仕事がしたかったんです。エンターテインメントを「つくる」側の仕事が。意外でしょ?(笑)私がダンス部に所属してたのはそういう理由だったんですね。エンターテインメントをつくっていたかった。

 

だけどこの歳まで、いわゆる一般的なレールに乗っかって生きてきて、そんな大好きなエンターテインメントをつくる側になるには、もう遅いんだなって思った時があったんです。

そりゃジャニーズで言えば年齢一桁の頃から事務所に入ったりしてるんだから、20歳越えてそんな道を目指すのはお門違いで。あとで詳しく話すけど、容姿コンプも酷いし。

 

だからせめて、テレビの企画制作をしたい、って思ったんです。昔は毎日かじりつくようにテレビを見ていて、今日は何曜だからなんの番組の日、ってランドセル背負って走りながら帰ったりして。

 

でも、今のテレビは私には苦しい。

 

それっぽい言葉を並べてしまいますが、メディアの印象操作は以前にも増して酷くなってきたと思うし(そもそも知識がなかっただけかもしれないけど)、

ヒトをヒトとして扱わないような描写がどんどんエスカレートしていって、終いには「そういうのなくせばテレビつまんなくなるじゃん」って声も出てきてしまってるのが現状だなと。

 

だから、今のテレビを好きな人ばかりがテレビをつくるんじゃなくて、「今のテレビを変えたい」と思ってる私を一緒にテレビ企画制作に入れてくれませんか、っていう、そんな志をもって就活をしていたんですね。

 

結果から言うと、

7社受けて、7社全て最終選考で落とされました。

一次とか二次とかで落とされるわけではなく、

最後の最後で、弾かれたんです。

 

正直コロナの影響はありました。そもそも採用試験を行なってくれないところ、採用人数を大幅に減らしてきたところ、いろいろありました。

でも、ひとつ残らず全て最終で落とされたということで、完全に、紛れもなく、私がテレビ業界に一歩届かない存在であることを浮き彫りにされてしまったんですね。コロナのせいにできなかった(できるもんならしたかった)。

 

大学の同期のみんなは続々内定が出ていく中、私は7月に一度、選考の手持ちがゼロになりました。スタートラインに戻されました。7月です。

泣いて泣いて、1人真っ暗な部屋で嗚咽を漏らしながら、就活サイトを眺める日が続いて、なんのために大学来たんだろう?人生終わる?って本気で思いました。

 

当時、スノ担の先輩と二人暮らしをしていたんですけど、それスノを一緒に見たんですね。

そこで見たのが、2020年7月24日に放送された回。冒頭で歌詞の字幕がついたナミダの海を越えて行けが流れた回です。

それこそ初見では、岩本さんの姿への衝撃が大きくて、就活のことに気が向くような余裕はなかったんですけどね。

 

それから数日して、また東京に向かう夜行バスの中で、単純にその映像が見たくてそれスノを再生しました。スーツを着て就活バッグだけ持って、足むくんでパンプス入らなくなるなぁとか思いながら脱いで(夜行バス就活あるある)(笑)

 

 

これが、見事に、こたえました。

 

 

まず、らうちゃんの優しい

"...Well done!"

頑張ってるよ、って言われてるような気がして。

 

帰り道の暗闇 遠くで誰か笑ってる

  誰もいない街 朝を待つほどに長い夜だ

  テールライトの灯り 最終便が走り去ってく

  見送る事に 気付けば慣れていた "

 

その時は往路だったけど、もちろん帰りも夜行だから物理的にも暗くて、お先真っ暗って意味でももう闇の中にいて。

内定が決まり出した同期は、明言してなくてもわかるんです。SNSで、なんとなく。笑顔が増えるの。友達なのに、画面の向こうの笑顔が憎かった時もあったんです。ひどいね。

それまで受けたどの企業も最終でお見送りになっていて、この歌のこの出だしが、完全に私の就活に侵された脳内とリンクしちゃったんです。

 

" じゃぁ過ぎたる夢と諦めようか?

 『今度こそは』を期待した手、

  何度も雲を掴んだって

  運命は自分が決めたろう? "

 

ほんとにそう。次こそ、今度こそって、きっとここなら私を受け入れてくれるって期待してた。

でも現実は甘くなかったです。

努力不足だったのかもしれない。自分で気づいていないだけの決定的な欠点があるのかもしれない。それならば、ただ期待していただけの自分が就活を終えられないのは、自分が定めてしまった運命なのかもしれない、とか。考えたり。

 

" ああ、しょっぱいぜ!ナミダの海越えて

  無理難題な夢をまた見ような

  風に走れ 汗かいて 転げて その身を焦がせ

  失敗の数だけ増えようが

  間違いなんて誰が笑えようか?

  雨に打たれ 泥飲んで 踏まれて 花開け!

 『いつの日か』が今日の日に

  目覚めない夢に

  訪れるまで! "

 

正直な話をすると、私はテレビ業界を諦めました。それ以上頑張れる気がしなくて、また弾かれるのが怖くて仕方なくて、まあ夢というほど求めていたわけではないかもしれないけど、志半ばで手放しました。

それでも、"無理難題な夢をまた見ような" って言ってくれる彼らが、就活自体を諦めはしなかった私を肯定してくれた気がしたんです。また見ような、まだ歩めるよな、みたいな。

落とされるたびに私は自分に「失敗」というレッテルを貼って自分で自分の首を絞めていました。完璧主義なのかもしれません。というか多分そう。失敗が自分の中で消化できないうちに次の試験を受けて、情けなくてしかたなくて、でも "誰が笑えようか?" って歌う彼らがズタボロの私を奮い立たせてくれて。

画面に映る9人の笑顔が、絶望と共にバスに揺られていた私にはどんな弱さも受け止めてくれるヒーローに見えました。

 

早朝の新宿に到着するまで、繰り返し再生しました。大丈夫、まだできる。きっと報われる。そう思いながら何度も何度も。

 

その面接も結局落とされちゃったけど(これまた最終だったので人事を殺したくなりました)、その次の面接で内定をいただけたんですね。

毎日狂ったように再生してたあのショートムービーが、間違いなく、私の就活の最後のひと踏ん張りの手助けをしてくれました。手助けどころじゃなかった気もする。

 

 

デビューコンサートで、大サビ前の歌詞も出ましたね。

 

" 息を止め、駆け抜けた一瞬が

  ほら、待ちわびた朝をつれてくる

  Here rise the Sunlight !

  あぁ、眠らず夢見た水平線

  ナミダの途切れた その向こうへ、今! "

 

後付けみたいな話をします。

最後の面接会場には電車で向かったんです。

山があって川があるような田舎の中を走る電車の車窓の向こうで、瞬きをするたびに移り変わっていった景色を私は一生忘れないと思うんですね。期待と不安でぐちゃぐちゃな情緒を抱えて挑んだ面接で、私は "待ちわびた朝" を迎えました。たくさんのナミダを越えて、一度途切れて、来年の4月からわたしは "その向こう" でまた戦うのだと思います。

 

 

就活で私の人生が決まるわけじゃない。私はセカンドキャリアも考えたいし、内定をいただくことがゴールでもない。

それでもやっぱり就活中は、私が生きてきた濃いようで薄いような21年の中でもトップレベルに悩み苦しみました。

学歴社会と言われる世の中で、やはり学歴は人生の保険程度にはなり得るかもしれない。

でも、やっぱり大学に入ること、大学を卒業することが全てじゃない。

私が抱いていた、少しひねくれた「学歴コンプ」は、自分が思っていたより自分を苦しめてたのかもしれない。

 

大学に入ったことも、留学させてもらえたことも、今の内定先でお仕事をすることも、

胸を張って正解と言えるかと問われれば、自信を持って頷くことはまだできないです。

 

でも、間違いではなかった。それだけは、胸を張って、自信を持って言うことができます。それだけは自分を誇りに思います。

 

 

 

ちょっと別の話をします。

 

なんでこの話をしようと思ったのか、自分でもわからないけど。

きっとどこかで話したかったんだろうな。

 

 

私は高校生の頃からいくつかの精神疾患を持っています。敢えて、敢えてね、具体的に診断名を挙げると、摂食障害醜形恐怖・躁鬱・境界性パーソナリティー障害です。

いずれも高校生の頃に受けた診断名だから、また変わってるかもしれないけど。物理的に「おかしい」ってわかるのは摂食障害だけだし。醜形恐怖とかいうわりに自撮り載せるし。

 

普段から、いろんなことを考えすぎちゃうんです。思考が止まらなくて深読みをしすぎてしまってそれが仇となる。

自分のことは中身も外見も世界で一番醜く見えて、スカートを履いて座ることすら苦痛で仕方ない(お腹の肉がスカートに乗ることで頭がいっぱいになるから)。

人との距離感をうまく掴めなくて、嫌われることが不安でしかたなくて、気づいたら食べものに縋っていたんですね。ちなみに食べ物は何も解決してくれないです。全くもって。

 

就活中、これがまた私をコテンパンにしてきたんですね。7kgくらいの体重の増減がありえないくらいの短いスパンであって、手の甲がえぐれて髪の毛が抜けて、今度こそほんとに死んじゃおうかなとか思ったりして。

それでも私は就活を途中で投げ出すことができなかったんです。こういうときだけ、完璧主義が邪魔をするから。言い訳かなあ。言い訳かも。

 

それでも、乗り越えられたこと。

さすがにこれは、自分を認めてあげてもいいんじゃないか、認めてあげたいと、思ってしまいました。

ポエミーだね。

 

大袈裟かもしれないけど、

Snow Manが、

Snow Manの歌う「ナミダの海を越えて行け」が、

私という存在を肯定してくれた気がするんです。

 

今後、今までとは比にならないような困難が私を苦しめることがあるかもしれない、いや、絶対あると思う。まだ卒業すらしてないし。

 

でも、なんとなく、

この曲があれば、

Snow Manがいれば、

私は大丈夫な気がするんです。

生きていける気がするんです。

 

 

 

「生きててくれてありがとう。」

 

正直、嫌いな言葉でした。

生きたくても生きられない人がいるように、

死にたくても死ねない人がいるんだと。

なにがありがとうなんだ、と。

 

でも、デビューコンサートの中で何度もこの言葉の意味を噛み砕くうちに、なんとなく、真意がわかったような気がしました。そのままの意味を受け取ればいいんだけどさ。

 

いつか、生きてて良かったと思える日まで、頑張ってみてもいいかな。

 

そう思わせてくれたSnow Manが、私は大好きです。心の底から、本当に、本当に大好きです。

9人を愛しています。

 

 

デビューコンサート開催、本当におめでとう。

そして、本当にありがとう。